コロナ禍と桜
朝、通勤で通り抜ける公園の桜が今年もきれいに咲きました。早春の青空を背景に、朝日に映える桜は見事です。しかし、今年の桜はかわいそう。緊急事態宣言は解除されたものの、花見や宴会の自粛が呼びかけられています。テレビでも、花見の人出で感染が広がることの危惧からか、例年よりも桜の情報が少ない気がします。どうも、うきうきとした気分になれません。せっかくの桜だといって花見に繰り出した人々の心の片隅にも、小さな罪悪感が宿っていると思います。
「年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず」
今年も、例年と全く変わることなくきれいに咲いた桜に対して、正直に喜べない気持ちがあります。桜もそれに気づいたのか、先週末の風雨にさらされて、惜しげもなく花びらを散らしていました。申し訳ない気がしました。
東京も緊急事態宣言は解除されましたが、新型コロナ感染の第三波が完全に収束しないまま、第四波の襲来が確実に近づいています。何度も書いていますが、パンデミックの出口戦略は3つ。感染リンクの途絶、ウイルスの変異による弱毒化、そしてワクチンです。このうち、感染リンクの途絶は、過去1年間の経験で限界があることがを皆が理解しました。ウイルスの変異は人知の及ばないことですから、今はワクチンに期待するしかありません。
私はこの記事で何度もワクチン接種を勧めてきました。医療関係者である私自身も早くワクチンを打って、その感想をお知らせしたいと思っていますが、私の接種は4月中旬になるようです。残念なことに我が国はワクチンの供給を輸入に頼っており、十分量のワクチンが届いていません。4月下旬から高齢者に対しての接種が始まるものの、たぶん、かなりゆっくりしか進まないと思います。一般の人に対する接種は早くて夏、遅ければ今年いっぱいかかるのではないでしょうか。
どうして国内でワクチンの開発ができないのか、皆さん不思議だと思います。わが国では、過去にワクチン接種による事故が何度も起きた不幸な歴史があり、政府も企業もワクチン開発に対して極めて消極的ですし、国民の間でもワクチンというだけで拒否感を示す人もいます。つまり、ワクチン開発を行うことが企業としてリスクであるという認識があり、ワクチン開発が後手に回ったのが一つの要因のようです。社会では、科学的に「安全」が示されていても、リスクがゼロでないと「安心」できないという「ゼロリスク信仰」が蔓延していますが、どんな医薬品でも、どんな食品でも、どんな交通手段でも、リスクゼロはありません。リスクがゼロなら保険は成立しません。どんな医薬品も、リスク(危険性)とベネフィット(有用性)を天秤にかけて、認可・不認可が決まります。コロナ禍の早期収束にワクチン普及が欠かせない現状を考えれば、ワクチンは、皆の健康だけでなく、経済の安全を保障する有力な手段でもあり、大きなベネフィットがあると考えられます。安全性に十分なエビデンスがあるのであれば、小さな安心を優先させ、大きな安全を犠牲にする「安心ポピュリズム」(船橋洋一氏)に陥ることのないように、皆が考える時だと思います。
今年もきれいに咲いた桜、美しさを十分に評価してあげられなくてごめんなさい。来年こそはコロナを克服して、澄んだ目で楽しませていただきます。だから、来年もきっときれいに咲いてくださいね。
山王メディカルセンター院長 リウマチ・痛風・膠原病センター長
山中 寿