新・リウマチ歳時記 Vol.28(2021.11.1)

2021年11月01日 新・リウマチ歳時記

禍福は糾える縄の如し

新型コロナ感染の広がりが瞬く間に減少し、日常生活上の宣言も解除されて、コロナ禍も一段落した感があります。急激な減少理由が説明できないとよく言われますが、ワクチン接種が急速に進んだことが大きな要因であったことは間違いがないと思います。現時点でワクチンの2回接種を終えた人は国民の71%になり、欧米諸国に並びました。前首相の菅義偉氏は何かと批判されることが多いのですが、ワクチン接種を強力に推進されたことは評価するべきで、医療関係者のひとりとして感謝しております。まだまだ安心できる状態ではありませんが、ワクチンの3回目接種や飲み薬の開発など、安心材料は増えつつあります。散発的な流行はあるかもしれませんが、第5波以上に大きな波が来ることはないだろうと、私は個人的に思っています。

今回のコロナ禍で、人々の生活に生じた大きな変化のひとつは、人と人との接触を避けることが定着したことでしょう。マスク越しの会話とか、握手ではなくグータッチだとか、コロナ禍でなければ広がらなかった変化が生じました。「黙食」とか「黙浴」などの言葉も生まれました。これらは、コロナ禍が収束したとしても、当分は私たちの生活の中に定着する気がします。

喫茶喫飯(きっさきっぱん)という言葉があるそうです。曹洞宗の禅語の一つで、お茶を飲んでいるときには、目の前のお茶を飲むことに集中し、ご飯を食べるときには、目の前のご飯を食べることに集中するという、とてもシンプルな行動規範です。比叡山の修行僧も、悟りに至る重要な修行のひとつとして、食事中は一切会話せず、音もたてないと聞きます。食べ物に感謝し、食べ物のことのみ考え、雑念を捨てて食べる。すると、質素な精進料理でも、味わいが深くなる。少し違いますが、神楽坂にある老舗の居酒屋は、少しでも騒ぐと店主が叱ることで有名でした。確かに、静かに食べる、静かに飲むことのほうが、食べ物の味わいも、飲み物の味わいも深くなるように思います。その静謐さと比べると、大勢で卓を囲み、ぺちゃくちゃしゃべりながら箸を動かし、あるいは大声で談笑しながらジョッキを傾けるのは、何と罰当たりなことかと思ってしまいます。もちろん、人と飲食を共にし、絆を深めることは、人類が生み出した偉大な文化だと思います。実際に私も大好きで、今までずっと実践してきたのですが、残念ながらコロナ禍では、そのような大人数での飲食の場でクラスターが無数に発生しました。コロナウイルスが飛沫感染することは皆が知っていますが、食事中は唾液の分泌が多いことにもっと注目するべきです。食べながら話すと、当然、飛沫の量が増えるわけで、多人数が集まる飲食の場で感染が広がりやすいのは、至極当然なのです。

コロナ禍が収束すれば、楽しい飲食の機会が戻ってくるとは思いますが、コロナ禍がなければ、「喫茶喫飯」のような哲学に思いを馳せることもなかったと思います。禍福は糾える縄の如し。禍(わざわい)が福になることも、福が禍を生じることもある。良い時も油断せず、悪い時も悲観的にならず、毎日を送りたいと思います。お寺でお坊さんが話す講話のようになってしまいました。スミマセン。

11月になり、気持ちの良い季節になりました。コロナの再流行に注意しながら、季節を楽しみたいと思います。

(写真:草月会館正面のオブジェ)

山王メディカルセンター院長 リウマチ・痛風・膠原病センター長
山中 寿

リウマチ・痛風・膠原病センターのご案内
山中医師の新・リウマチ歳時記アーカイブス